スタッフのご紹介
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明るくげんきな当院!
- 秦 駿輔(はた しゅんすけ)
- 施術スタッフ
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出身地:東京都世田谷区
血液型:B型
趣味・特技:ゲーム、麻雀
資格:鍼師、灸師
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地域のみなさまへ痛みが出ているのであればそれは身体からのメッセージなので放っておくと悪化をしてしまい日常的に痛みとなってしまうのですぐに当院にご相談下さい! 身体で困っていることなどがありましたら是非ご来院をお待ちしております!
施術家になるまでの自分3人兄弟の末っ子として生まれ、小さい頃から兄の後ろを追いかける生活をして生きていました。小学生のときは勉強が得意ではなかったので、友達と外で遊ぶことか家で兄のお下がりのゲームで遊ぶことが多かったです。 中学生から本格的にゲームが好きになり昼夜が逆転することが多くなりました。そして身体の調子がおかしくなることが増え、学校も休むことが多くなり、心配をした母が病院に連れて行ってくれ、自分が自律神経失調症を患ってしまったことが分かりました。元々アトピーや喘息など持っていたのですがこの時から症状として出てしまうことが増え、病院に通うことが多くなり薬を処方されることが多くなりました。母が薬は飲み過ぎると身体に良くないと考える人だったため、この時に鍼灸院に連れて行かれ鍼灸に出会いました。最初は半信半疑で鍼灸院で治療を受けていたのですが、母が一緒に連れて行ってくれることもあり定期的に通い半年経つ頃には、身体の調子が良くなり学校にも休むことなく通うことが出来るようになりました。ですがまだこの時鍼灸師になろうとは考えてなく、入学金が安くなるので兄が通っていた工業高校に進学したため、あまり自分の将来のことを考えることなく高校生活を送っていました。3年生のときに将来はどうするのかを真剣に両親と話した際に、まず手に職をつけてその後に自分のやりたいことが見つかったらその道へ行けば良いとなり、鍼灸の学校へ行くことになりました。そして様々な鍼灸の先生と出会い鍼灸師になれば自分の身体のように誰かの身体のお悩みを軽減出来ることと、実家に帰ったときに家族に親孝行が出来ると考え真剣に鍼灸師になることを目指し今の自分になりました。
新人・修行時代の自分初めの研修だったりはあまり同期と馴染めずに過ごしていた新人時代だったと記憶しています。自分の行っていた学校から入社する同期がいなかったことと家から研修先が1時間以上通うのにかかってしまっており、研修終わりに練習をする同期がいる中、遠いからと理由をつけてすぐに帰ることを選択してしまっていたため尚更仲良くなることもなく、特に目立つこともない研修時代を送っていました。自分の転機の一つとして研修が終わった後に現場配属になった場所の院長先生がとても働く方で、家にいる時間よりも院にいる時間の方が長いのではないかと思う程仕事熱心な方でした。院長先生と毎朝練習をするようになり、早朝勉強会というものがあるのですがその参加もしていたため、段々仕事に対する価値観が変わっていき仕事に対して前向きになるようになりました。この時実家から通っていたため、営業終わりの後終電で帰り、朝は5時半に起きるという生活を送っていましたが、嫌な記憶が全くないほど充実した毎日を過ごしていた記憶があります。2ヶ月で異動という形になってしまいましたがこの時に過ごした日々を忘れることはないと思う濃い毎日だったと感じています。今の現場も含め、自分は出会ってきた人に恵まれていると感じています。頑張るか頑張らないかは自分次第であり、やらない理由などを作るのも簡単なのですが、現場に出て仕事はどういうものかを教えて下さる人に出会うことが出来て幸せと感じています。
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人間力と距離感
- 笠松 悠生(かさまつ ゆうき)
- 施術スタッフ
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出身地:東京都中央区
血液型:O型
趣味・特技:音楽を聴く、バスケ観戦
資格:柔道整復師
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地域のみなさまへ当院はスタッフ全員が明るく楽しく元気でどこの院よりも声を出しています。来られる患者様はお身体に悩みがあると思いますがその辛さを忘れさせるくらいに全員が元気いっぱいです。ぜひ皆様のご来院お待ちしております。
施術家になるまでの自分小さい時からスポーツが好きで初めはサッカーをやっていました。小学生で初めて捻挫をしてその後中学生からバスケットボールを初め捻挫をすることの繰り返しでした。捻挫に対する知識も無く冷やすだけで整骨院に行ったりもせず放置しているうちに中学2年生の時にまた足首を捻り異常に痛くなってしまい初めて整骨院に行くと骨折というふうに言われてしまいました。3年生が引退してキャプテンになってすぐの事だったので凄くショックを受けたのを覚えています。そこから約4ヶ月間チームの練習に参加することが出来ず整骨院に通って治療とリハビリの毎日を送っていました。やっと復帰出来るようになり練習に参加し1か月後にまた捻挫をしてしまい参加出来なくなるのが嫌で誰にも言わずに痛みに耐えながらプレーを続けていました。その状態を続けていると痛みがすごく歩くのも辛くなってきてしまい練習に参加できる時間が少なくなってきてしまいました。高校でも部長を務めていたので練習に参加出来なる時間が増えていくと辞めたいと思うようになってきました。整骨院の先生に相談をしたりしていましたがそこで先生も同じ経験をしていたことを知りました。先生も悔しい思いをしたと言っていました。先生はこの仕事をやろうと思ったきっかけが自分と同じ辛い思いをしてしまう学生を1人でも減らしたいと言っていたので自分もあの先生のように身体のケアだけじゃなくて心のケアもできる先生になりたいと思いこの仕事を選びました。
新人・修行時代の自分私は学生時代のころから自分の中での限界を作ってしまうくせがありました。自分の中でここまで出来れば上出来と100点を目指すことはありませんでした。ですが同期と過ごしていくうちに自分の中で少しずつ変化がありました。自分よりも練習をしている人を見てすごい頑張っているなと思うだけで最初は関係ないと特に何も考えずに過ごしていました。それから1ヶ月後その同期と練習をすることになり初めて練習をした時よりもすごくレベルが上がっていたのを覚えています。その時に少し自分の中で焦りが出てきました。同期は1ヶ月でこれだけ成長しているのに自分はこの1ヶ月で成長出来ているのか無駄にしていたのではないかと思いました。社長がよく仰られる「アウトバーン」という言葉があります。ドイツの高速道路で速度制限がないそうです。同じように自分たちにも成長速度の制限はありません。同期は出来ているのに自分には出来ないなんてことは無いと思い、そこから練習をたくさんするようになりました。先輩の先生に技術を見てもらうようにしています。施術の技術に100点は存在しないと思うので日々1歩ずつ成長していこうと思います。今はこの院の中で中心のメンバーになれように頑張ります。
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明るく元気な院!
- 島野 蓮龍(しまの れんた)
- 施術スタッフ
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出身地:北海道札幌市
血液型:B型
趣味・特技:ダーツ
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地域のみなさまへ皆さんの健康寿命を伸ばすお手伝いのために今も沢山勉強しているところです! 今の身体をより良くするために、全力を尽くして施術させていただくので1度ご来院ください!
施術家になるまでの自分目指し始めたのは高校3年生の夏からで、バスケをしていた時に怪我が多いチームメイトが居て、怪我の後の治療などをやって貰ってると聞いたのと、顧問の先生が試合前のテーピングやマッサージをしてくれる事があり、その時のパフォーマンスがすごく上がった事で身体を知れば動きやすくなるし、楽になると思い自分も辛い状態の方を治していく仕事をしたいと思っていた事がきっかけでした。 そこから筋トレやバスケ中に身体を動かす時に筋肉の動きなどを気にするようになっていき、なぜ怪我がしやすくなるのかを考え始めた時に親から整骨院とかの業界で働くのはどうかと伝えられて本格的に専門学校などを調べはじめました。 専門学校入学後からは筋肉の名前や動き方などを初めて習い戸惑いながらも沢山勉強しました。そして、2年生の冬に併設している整骨院の方にインターンに行った際に、本当の患者様とお話をしたり実際の施術風景を見させてもらい勉強をさせていただきました。機械があった方が効果が高いと思っていたのですが、そうでは無いと知ることができ、ちゃんと技術があれば自分の手で患者様の不調の改善が出来ると考え、整骨院で施術家になろうと思いました。
新人・修行時代の自分最初は専門学生時代に北海道の院でアルバイトを始めてまずは事務作業を1年間、技術練習を1年間しました。 事務作業を出来るようになってから技術練習をしようと思い、まず事務作業をしっかりできるようになりました。 技術練習は、先輩の身体を借りて練習させてもらったり院長先生に見てもらったりしました。 力加減や押す順番などを教えてもらいましたがなかなか上達せず、毎回同じところで躓いていました。 他の院に行った際にも、そこの院の先生たち全員に自分の施術を受けてもらいフィードバックを厳しくして貰うことをしてました。 それから入社をして研修を千葉で行った際に同期のみんなと練習をして、自分が習ってきた部分を教えたり研修担当の先生方からフィードバックを貰ったりしてより技術向上をしていきました。 2ヶ月の新人研修を終えて今の院に本配属されてからは、まず通ってくださっている患者様の名前を1ヶ月以内に覚えることから始めて、たくさんの交流をしていきました。 慣れてきてからは、新患様の対応やより新しい技術を覚えていくために当時の院長先生に教えて貰いそれを踏まえながら院にいる先生と練習を休憩時間や業務後に毎日行っていました。とにかく、覚えるために練習を沢山する新人時代でした。
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いつでも元気で明るい
- 髙安 未来(たかやす みき)
- 施術スタッフ
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出身地:千葉県市川市
血液型:A型
趣味・特技:寝ること、食べること
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地域のみなさまへ当院はとても元気で明るく、アットホームな院です。スタッフ同士の仲の良さももちろん、患者様との仲もとても良いと思います。お身体のご相談もしっかりとさせてもらっていますが、普段のプライベートのお話なども楽しくしているので初めは緊張して入りにくいなど感じている方でもすぐに楽しくご来院できる院です。一人一人にあった施術をスタッフがしていきます。お知り合いにお身体で困っている方がいましたらぜひ当院をご紹介ください!お待ちしております!
施術家になるまでの自分小学生の時に入っていたバスケットボールクラブのコーチが、トレーナーのような事をしていたのを身近で見ていて、かっこいいと思ったことが始まりです。高校生までバスケットボールをやっていたこともあり、怪我は付きものだったので、整骨院には昔からお世話になっていました。先生達に治療をしてもらい、練習や試合ではいい状態で望めていたのですごく感謝していました。そこから自分でテーピングができるように練習をしたり、本などを読んで怪我に対してどの様な処置をしたらいいのかなどを、少しずつ覚えるようになりました。スポーツだけでなく、その他での怪我の治療をその人に合わせた治療プランで行っているのを見て、とても凄い人達なんだと思い、私もこんな風になってたくさんの人を助けれたらと思っていました。高校生になってから進路で悩んでいた所、担任の先生からはトレーナーか柔道整復師の専門学校に行くのはどうか、と提案してもらいました。担任の先生には前からやりたい事を面談の時に話していたので、たくさんの専門学校をピックアップしてくれていました。国家資格があると将来的にもとても助かるものだから、国家資格を取り手に職を就くのもとても良いと思うと、アドバイスをもらいトレーナーと柔道整復師の専門学校にオープンキャンパスに訪問しました。実際行ってみて、どこもとても雰囲気が良く楽しく学校生活を送れそうだなと思いましたが、担任の先生が言っていた手に職をという言葉がとても響いていたので、柔道整復師への道を選ぶことにしました。専門学校に進学して勉強はとても苦手でしたが、将来のためにと必死で勉強をしました。座学より実技の方が得意だったため、実習がとても好きでした。注目を浴びるのが嫌いだったのもありますが、人と話すのが苦手で、人見知りもすごいあったのでこのままでは良くないと思い、苦手意識を無くすように学生の頃から頑張っていました。現場に出るまでに少しでも知識を持ちたいと思い、整骨院で受付のアルバイトもしていました。受付やご案内、電気治療のサポート、事務作業をやらせていただいていましたが初めは何もわかりませんでした。ですが、回数を重ねていくごとにスムーズにできるようになりました。患者様の顔と名前も覚えれるようになり、ご来院頂いたらすぐにスタッフの先生からの指示をもらえるようになったり、名前を呼び挨拶ができました。その際に、もう名前覚えてくて嬉しいよなどお褒めの言葉を頂き、私も嬉しかったので現場に出た時にもこれはできるようになりたいと思いアルバイトをしているときは意識するようにしていました。
新人・修行時代の自分入社して1番に思ったことは、同期の人数がとてつもなく多いなと思ったことです。入社式に全社員が集まっていたのですがこんなに同期がいる会社はうち以外無いのでは無いかなと思いました。2ヶ月間みっちりと研修を行いました。同期が多いのでチームが2つに分かれていたのですが、同じチームの人とは研修中に少しずつ話せるようになっていきました。私は人見知りなので、自分から話しかけることはあまりできなかったのですが、周りの同期が気にかけてくれて休憩中やお昼休みのときにみんなでいることが増えました。研修をしっかり受け、分からないところは同期のみんなで助け合い、それでも分からなかったら講師の先生にみんなで聞きに行ったりしていました。講師の先生も優しく気さくに話してくれていたので、とても聞きにいきやすく、技術を覚えるのにとても良い環境でした。地方から来ていた同期達は1ヶ月本社で研修したら戻ってしまうのもあって、地方の同期達とはたくさん話して仲を深めました。研修終わりにはみんなで残って施術の練習をしたり、仲のいいメンバーでご飯を食べに行ったりしてプライベートの話などをしてより仲を深めました。配属が決まった後は院の先輩達に施術を見てもらい技術のレベルアップに力を入れていました。指圧は普段やらないので親指が痛くなることが増えましたが、立派な施術家になるには頑張っていかないといけないことだと思っていたので必死に練習していきました。施術に入れるようになった時は、1番苦労したのが患者様との会話でした。人見知りなのど話すことが苦手だったので、お身体の状態を確認した後の会話が何を話せば良いのか、どうしたら患者様との距離を縮められるのかをすごく悩みました。ですが、施術に入る回数が増えるごとに会話に困ることが無くなりました。話題の提供や、患者様の好きな物だったりを覚えて距離を縮めていけたと思います。異動もあって、とても忙しいと言われている院に配属になり、とても不安でした。異動したばかりの時は院の先輩とも話すのが少しできなく、前の院にいた時の同期などに相談をしたりしていました。ですが、同期達ともでしたが皆んな気さくでたくさん話しかけていただいたので、不安なことをなくなり楽しく仕事をやれていました。同期に比べて施術に入れる回数が圧倒的に多かったと思います。なのでそれを糧に、自分は同期よりとても良い経験をさせてもらえてると思えていたので、自信を持って仕事をやっていました。
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明るい、楽しい、元気良い!
- 杉山 勇太(すぎやま ゆうた)
- 施術スタッフ
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出身地:静岡県牧之原市
血液型:O型
趣味・特技:映画鑑賞、サッカー、スノーボード
資格:柔道整復師
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地域のみなさまへ皆様のお声を聞くと整骨院は怪我をしていないと施術ができないと思っている方が沢山いらっしゃいます。そんな事はないので痛みがなくてもまずは今のお身体の状態を知って頂く為にもお気軽にお越しください!皆様のご来院お待ちしております!
施術家になるまでの自分私の学生時代は毎日サッカーに打ち込んでいました。キャプテンとしてチームをまとめ、試合で活躍する事を求められる一方で小柄で細身だった私は沢山怪我をし悩まされてきました。なかなか思うようなプレーができず身体的にも精神的にも辛かった時、支えてくれたのが接骨院の先生でした。先生は身体のケアはもちろん、いつも笑顔で頑張ろうと励ましてくれて、落ち込んでいる私に対して精神面でもサポートしてくれました。それこそが将来やりたい事や夢がなかった私の、大人になったら困っている人の力になりたい、今度は自分が周りの方を笑顔にしたいと思うきっかけとなりました。一度決めたことには全力で取り組みたいタイプの私は、専門学校に入学し大嫌いだった勉強を3年間必死にやりました。人生で1番勉強したと自信を持って言えるくらいです。国家試験前は朝6時に家を出て、学校が終わり家に着くのは夜10時でした。そんな生活を乗り越え国家試験に無事合格することができ、施術家になることが出来ました。まだまだ未熟ですが、これからも施術家として1人でも多くの方に喜んで頂き笑顔になってもらえるよう、元気と明るさと笑顔を忘れず満足して頂ける施術を提供していきます。
新人・修行時代の自分私は、施術家になりたくて必死に勉強をしてきて入社時は嬉しかった反面、不安やドキドキでいっぱいでした。同期が200人以上いる中でのコミニケーションだったり、初めての一人暮らしの生活だったり大変な事は沢山ありました。ですが、私の小さな頃からのやりたかった事なのでとにかく嬉しい気持ちが強かったです。本社での研修期間の3ヶ月は長いようであっという間でした。1つでも多くの手技を覚えたい、患者様に満足して頂けるクオリティを求めていきたい、そんな思いで必死でした。研修後には残って同期の仲間と一緒に順番を確かめ合ったりポイントをおさらいし合ったり、沢山練習してきました。そんな中、私の人生を変えてくれたのがある院長先生です。明るく元気で、スタッフ想い。志事熱心でなんでもこなせます。院長希望の私にとっては憧れの存在で、「この先生のようになりたい、絶対なってやる!」と思うようになりました。地元の静岡に帰るつもりでしたが、この地の良い所、素晴らしい所を吸収したい気持ちが強くなり、学生時代に共に過ごした同期4人と離れ、ここでの生活が始まりました。大きな決断でしたが、決心させてくれた院長先生はもちろん、院の先輩、家族には感謝でいっぱいです。
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明るく元気
- 田頭 洸也(たがみ こうや)
- 施術スタッフ
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出身地:沖縄県那覇市
血液型:A型
趣味・特技:ゲーム
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地域のみなさまへ姿勢や身体の痛みがある、朝起きるのが辛いなどの身体の悩みがある方は私達施術家と一緒にその悩みを解決していきましょう!当院で待ってます!
施術家になるまでの自分まず自分は人と関わる仕事をしたいと思っていました。最初は社会人になる前の学生生活では将来のことについてあまり考えておらず職業は人と関わっていける仕事にしたいと思っていました。その中で1番やりたいと思っていたことが人を喜ばせることができることでした。初めは色々考えてずっと悩んでいたけど、自分がされて喜んだことを考えてみると、学生の頃に野球をしていてその際に怪我をして野球ができない時期がありとても嫌な気持ちでいっぱいでした。その時、その怪我を早く治したいと思い行った場所が整骨院でした。その整骨院に通い始めてからは怪我をしていたのがどんどん治っていって、野球をすることができるようになっていき、とても喜んだ事を思い出しました。 そこで自分は施術をして患者様の身体をよくしていき、感動と喜びを与えるということがしたいと思いました。この仕事なら自分も患者様への施術をして、患者様の身体を良くしていき、最後には喜ばせるということができると考え、この仕事をしたいと思いました。そこからは高校を卒業して専門に入学をして、必要な知識を学びはやく人を喜ばせる仕事がしたくて楽しみでした。 患者様を喜ばせることで自分も幸せになれる仕事なので大好きな仕事です。
新人・修行時代の自分最初は右も左もわからず受付に立って患者様のご案内をしていました。そこから研修を経て受付回りの仕事を少しずつできるようになっていきそこから患者様の施術をさせていただくには技術や知識が必要なためそれを本社で学びました。それだけではまだまだ足りない技術なので同期と一緒に切磋琢磨に練習しあい、先輩が手が空いた時に受けてもらったりしてそこで自分に足りないものや改善点を指導していただき、どんどん成長していくことができました。 研修期間の間では少しずつ施術に入れてもらうことがあり、その際に患者様の身体に触れて実感した一人一人の身体の状態を頭に入れ、それをよくしていくためにはどうするべきかなどのアプローチのかけ方の難しさを実感し、どんな症状でも良くする施術家になりたいと思いました。そのためにはもっと技術をつけたいと思い、技術向上と知識を豊富にするためにわからないことなどがあったら先輩方に質問をし、施術中に意識していることなどを指導してもらい今では新人・修行時代とは比べ物にならないほど成長したと実感しています。まだまだ技術向上をして、患者様一人一人の身体を良くしていけるようにまだまだ成長していきます。
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明るく笑顔溢れる整骨院
- 須藤 愛子(すとう あいこ)
- コンシェルジュ
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出身地:千葉県船橋市
血液型:AB型
趣味・特技:歌を聴くこと
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地域のみなさまへいつも当院を温かく見守っていただきありがとうございます!当院には明るく元気なスタッフが多くいます!明るく元気な挨拶で1人でも多くの方を笑顔にできるよう精進して参ります!
コンシェルジュになるまでの自分私は小学生時代に水泳やチアダンスを習っていて学校では合唱部に入っていました。 朝早くから学校に行き合唱の練習をしたり、学校終わりに友達と遊んだり、習い事に行ったり毎日が充実していました。 私が小学校の低学年の頃、兄が野球部に入っていたので試合がある時は家族で見に行って待っている間に妹や他の野球部の妹たちと活発に遊び回っていました。よく外で遊び回っていたのでとても日焼けしてて昔の学生時代の写真をみると驚くほどひとりだけ異次元に真っ黒にこげて写ったりしています。 整骨院は自分にはあまり馴染みがないまま育ちましたが、ある時の就職活動イベントでこの会社に出逢い、会社見学に行き、ここで自分を成長させたいと思い入社することにしました。
新人・修行時代の自分入社当初、研修先の院はかなり活気が溢れていて毎日多くの患者様がご来院されていました。人見知りの私はなかなか先輩スタッフのように大きな声で話したり、自分からコミュニケーションをとるのに苦戦しました。時間を重ねるごとに少しずつですが環境に慣れ、先輩スタッフや患者様からありがとうと言っていただけたり、少しの会話から笑顔になっていただける姿を見てこの仕事の楽しさを知ることができました。 その後、配属が決まったその先の院はまたここでも毎日多くの患者様が来てくださり、さらに活気のある先輩スタッフ方に出逢いました。未熟な私を優しく温かく指導してくれるたくさんの先輩に恵まれながら今まで苦戦していた自分の苦手と思っていたことも少しずつ克服し成長することができました。